一瞥体験をした後から長い間、多くの人から宇宙のことや地球のことや人間のことの様々な質問をされ、質問されてる最中に同時に自動で「Answer」が身体を巡って、その「Answer」が私の中にある「視える情報」を「成長」させ、今までの情報外の情報リンクが「身体を巡り」私の中の「情報」が「拡大」し、人間の脳では取扱い出来ない「膨大な情報」となっている。
その「膨大な情報」は私の身体では収まりきれないので、信じられないかも知れないが、私の身体にある「情報」を「身体とは別」の「空間」に「移動」させて、「膨大な情報」をいつでも「出し入れ」出来るようにした。
人間離れしたこの「方法」は、私にとっては「普通」のこと。
私の「普通」は、単に人が言う「普通」と違っていることを、最近気付かされた。有難いなあって思う。わたしは「人のことは視えるし、わかる」だけど、「人間というものは経験してないし、理解できない」。私が人間の視点になったつもりで人に説明しようとする考えに「諦めができた」。有難いなあ。
これからは「人間視点」になろうとせず「わたし視点」で言葉を使い表現したいと思う。
わたしの知っている「人間」は今の「人間」と違う。もっとシンプル。シンプルとは、「悩まない」だとか「考え込まない」だとか、そういう事じゃない。「わたし」と言える者が「人間」のはずだった。
「わたし」のはずが「あなた」として生きていないだろうか?「誰か」ではなく「わたし」として生きる」もう一度考えてみようじゃないか
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